戸隠そばの歴史

戸隠そばの歴史

今も伝わる千日回峰の密教の修行に「百日間五穀絶ち」というものがあり、主食の米、麦などの五穀を絶ち少量の野菜とそばだけで厳しい荒行に耐える。平安時代の戸隠で修行した山伏達は山中の修行中にそばを常に所持しその実をつぶし水で掻いて食べたり練ったものに梅干しをすり入れ丸薬のようなものを作って携行したといわれ修験道とそばとの深い関わりを伝える話である。

後に戸隠にもそば切りが伝えられ「祭礼の時の特別食」つまりハレの日の食べ物として振舞われたことが宝永6年1709年の奥院灯明役の覚え書きに記録されている。

宿坊で供されていたものが現在では、多くのそば店でも供給されるようになった。

参考文献

戸隠手打ちそばの技術

戸隠そばの歴史

戸隠は平均気温が低いだけでなく、昼夜の温度差が大きい1200メートルの高地であるため、そばの成長の頃いつも霧におおわれていることが多い、直射日光の当たることの少ないこういう土地で育ったそばは、「霧下そば」といわれ、甘味とそば独特の香りが高いそば。

盛り方

そばの盛り方は、そばの水気を切ってザルやせいろに盛るのが一般的なやり方だが戸隠そばは水を切らないまま、地元名産の根曲がり竹のザルの上に『ボッチ盛り』という小わけ盛りにする。

ボッチ盛り

ボッチ盛り

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信州戸隠そば処仁王門屋